旅行記 ベルリン観光 2003/3/16

kowas


ベルリン・夏の闇

初出公開:2003/4/4、最終更新日:2003/4/4

ハノーファー駅

2003年3月、展示会見学の為にドイツはハノーファーに行った。 その週末、ベルリンを観光したので、後に訪問される方のよい手引きになることを祈って記録を残します。

土曜日の夜19:00、ハノーファーからICEで約1.5時間。 ベルリン動物園駅(Berlin Zoological garten,通称ベルリン・ツォー駅)に着いた。 ICEとは、ドイツ新幹線のこと。ドイツの主要都市を結んでおり、非常に便利。 今日のホテルは、ベルリン東駅のそばだ。 いつもなら地下鉄などでふらふら移動するのだが、夜も遅いのでタクシーを利用した。 ところがこれは失敗。結構な距離をタクシーで移動することになったからだ。 実はICEはベルリン動物園駅 == ベルリン中央駅 == ベルリン東駅の順で行ってくれるので、そのまま乗っていればよかったのだが、まあこれは後知恵。 なお、ハノーファーの駅のホームは同じホームに両方向方面の列車が止まるのでご注意。 例えば、名古屋駅の、とある新幹線ホームを新大阪行きと東京行きが共有しているようなものだ。

ベルリン東駅付近のホテルIBISに投宿。 ホテルIBIS は世界中に系列ホテルを持つビジネスホテルグループ。 特に欧州に施設が多く、値段も比較的安いので気に入っている。 チェックインした後、食事でもしようかとホテルのレストランを避けて外にでた。

ベルリン大聖堂

ところが、東駅周辺は、旧東独側ゆえか閑散とした感じ。 見渡したところホテルの近所にレストランがない。 そこで向こうに見える駅ビルらしきところを目指す。 立派な駅ビルには本屋やら携帯電話屋やらがテナントとして入っており、 食べ物屋もありそうな感じだ。 とりあえず、閉店間際の本屋で立ち読み。 マンガコーナーをちょっと覗くと、ドラゴンボールに交じってプラネテスの単行本発見。 プラネテスは比較的最近のマンガなのだが…と、すばやい輸入に感心。 PC関連の雑誌を軽く立ち読み。(ドイツ語はわからないので立ち見か?) その後、駅ビルの中心に進むと、フードスタンドがまだやっていた。英語がまったく通じないが、身振り手振りで、ビールとソーセージと、ハンバーグをいただく。 東洋人が珍しいようでほかの客がきょろきょろと私を見ている。

翌日、東駅でSバーン、Uバーン、バス共通の一日切符(料金 6.1EUR)を購入し、Sバーンに乗ってベルリン動物園駅に移動。 Sバーンというのは近郊列車のこと。 ちなみにUバーンは地下鉄。UバーンのUはUボートのUである。

故開高健の名作「夏の闇」のラスト、別れを予感した男と女がベルリンの環状線に乗るシーンがある。 環状線は、旧東側と旧西側の駅を円環状に結んでいる。少し引用してみる。

しばらくすると女が、
「東にはいったわ」
といった。
またしばらくすると
「西にはいったわ」
といった。
乗ったままでいると、電車はいつまでも市の上空を旋回しつづけた。
(中略)
しかし、どの駅も同じ無人境なので各駅停車もノン・ストップも同じことである。頑固に、勤勉に、正確に、止まったり、かけぬけたりするが、おなじことだった。入ってきて、人生と叫び、出て行って、死と叫んだ。

私の中のベルリンはこの美しい描写の中にあった。 多分同じ路線と思われる列車に乗り、私は人生の宿題の内のひとつを片付けたような気持ちになった。 が、現実の私の横には、黒装束にスキンヘッドのネオナチ大男が2人くつろいでいるのだった。 なんだよ、このギャップは。


盗掘万歳? - すごいぞペルガモン -

初出公開:2003/4/6、最終更新日:2003/4/6

バス路線100番

テレビ塔

朝起きてテレビをつけると「ハクション大魔王」が放映されていたのを思い出して、 ドイツ人でも面白いのだろうかなどと考えていると、 電車は、ベルリン動物園駅に到着した。 この駅は旧西側のベルリン駅だった為かベルリン観光の中心となっており、 目抜き通りクーダムの最寄駅でもある。 私は、荷物を駅のコインロッカーに預けると、バスターミナルへと向かった。

バスターミナルは、駅前のわかり易い場所にあった。 そこから路線100番 のバス乗り場に進む。2階建てバスが走るこの路線は、 主要な観光地を結ぶバス路線である。 まずはシュプレー川の中洲にある博物館島(Staatliche Museen)を目指す。

バスは、 カイザー・ウィルヘルム記念教会を右手に見、 戦勝記念塔(シーゲスゾイレ)の前を右折。 6月17日通りをとおって、ブランデンブルグ門(Brandenburger Tor)を通過、 そしてウンターデンリンデン(Unter den Linden)へ。 『菩提樹の下』という意味のこの大通りは菩提樹並木が続き、なんともいえない雰囲気がある。 ここはかつてのドイツ帝国の目抜き通りであり、日本人にとっては森鴎外の小説「舞姫」に書かれたことでも有名である。

ペルガモン博物館

ゼウスの大祭壇

私は、ベルリン大聖堂(Dom zu Berlin,旧東ベルリン側の主教会)の付近でバスを降りた。 バスはアレクサンダー広場にあるテレビ塔(Fernsehturm)方面に走っていった。 私は博物館島にあるペルガモン博物館(Pergamon museum)へと進む。 ペルガモン博物館のテーマはヘレニズム文化前後の遺跡の展示らしい。 私は絵画をみるのは好きだが、彫刻や陶器や貴金属関連などの三次元系は得意でなく、 イギリスにおいても大英博物館には興味がないほうである。 が、しかし、凄すぎるぞペルガモン博物館! 巨大遺跡をそのまま屋内に移築してしまうド迫力! ゲルマン人のバカ力業だね(褒め言葉)。 素晴らしいとしかいいようがない博物館であった。

ペルガモンのメインデッシュはギリシャ系ペルガモン王国があったという現在のトルコで発掘された 「ゼウスの大祭壇」(紀元前180-159年) この凄さをテキストで伝えることはとうてい不可能なので、せめて画像を見てほしい。 これを見たときの感想は、「VIVA!盗掘」だった。 インディアナ・ジョーンズシリーズの第一作「レイダーズ:失われたアーク」で、 ナチスがヒトラーの命を受け、遺跡を発掘するシーンがある。 映画の中では、アークを探す為の発掘という理由付けだったが、ナチスは実際よく発掘作業を行っている。

(あとからよくよく考えると第二次世界大戦の敗戦国であるドイツは、ナチスが発掘した遺跡についての返還を要求され、 実行しているかも…。だから、第二次世界大戦以前にドイツに来たものかもしれない。 識者のかた、ご覧になったらご指摘お願いします)

トルコから返還は要求されてるだろうが、 ドイツで保存されたからこそ現存しているような気もするし、 返還すべきかどうかは判断が難しい。 なお、他にも素晴らしい展示があるが、レイアウトの関係で別ページを設けた。 こちらもどうぞ。

イシュタール門

大満足のペルガモンを出たところで、知らないおばちゃんに話掛けられる。 曰く「慌しく観光しているものだが、ペルガモンは見る価値があるか?」 私は「是なり」と答え、お勧め展示も案内。 なぜか私は知らない人によく話しかけられる。

次は旧ナショナルギャラリーへ。チケットはペルガモンと共通で無料であった。 ベルリンにある全ての美術館、博物館は共通チケットで運営されてるらしい。お得だ。 ただ、結果だけ言うとナショナルギャラリーはいまひとつであった。 次は、ウンターデンリンデン経由でブランデンブルグ門に向かうとする。

ベルリン-路線100番のバス
ベルリン動物園駅 <==> 戦勝記念塔(シーゲスゾイレ) <==> ベルヴュー宮殿 <==> ブランデンブルク門 <==> 国立オペラ劇場 <==> ベルリン大聖堂 <==> テレビ塔 <==> アレクサンダー広場を結ぶ。
ちなみに6月17日通、ウンター・デン・リンデンを通る。


まわりきれないベルリン

初出公開:2003/4/12、最終更新日:2003/4/12

ブランデンブルグ門

旧東側から見たブランデンブルグ門

ベルリン大聖堂から、ウンターデンリンデンの並木道を通り、ブランデンブルグ門へと向かう。 ウンターデンリンデンは、真ん中が中州のようになっており、そこが遊歩道になっている。 そこにはフードスタンドがでていたりして、カレービルスト(ビルスト=ソーセージ)があまりにもそそるのでおやつとする。 以前ドイツ居酒屋で、英語が全く通じなくて苦労したことを、ふいに思い出す。なんせ、ドイツに来てソーセージがたのめなかったのだから! 皆様、ソーセージ=ビルストです。ちなみにフランス語ではセシソンです。

休憩の後は、ブランデンブルグ門をくぐる。 ブランデンブルグ門は、プロイセン王国時代に建てられた凱旋門である。 オーストリア継承戦争(1740-48)七年戦争(1756-63)に勝利したフリードリヒ2世の指示による。 現在は世界遺産。このドイツ統一の象徴も、しばらく前までは、あの有名なベルリンの壁(1961-89)によって東側にあった。 門の丁度前が壁であった。 今は、簡単にくぐって旧東から旧西へと抜けることができる。

ポツダム広場

ソニーセンター

次はポツダム広場(Potsdamer Platz)に向かう。 ポツダムといえば、日本人が思い浮かべるのが「ポツダム宣言」 そう、さだまさしのヒット曲である。(それは「関白宣言」)。 ポツダム宣言が行われたのは、ベルリン郊外の町ポツダムなので、混同しないように。 ベルリンからは電車で行ける。

ポツダム広場近辺は、再開発が進んでおりいまでも工事中の建物がいっぱい。 元々ポツダム広場は、第二次世界大戦後ベルリンが連合国に分割占領された時(1945)、ミッテ地区(ソ連領)、ティアガルテン地区(イギリス領)とクロイツベルグ地区(アメリカ領)の接点となった。 その後、1948年同広場の境界線がペンキで定められ、 次いで有刺鉄線が引かれ、 最後にドイツの東西分割が決定後、 1961年8月13日、ベルリンの壁がポツダム広場を横断するのである。

解き放たれ、だだっ広い空間となったポツダム広場から、ソニーセンターへと向かう。 こんな超一等地に日本企業の施設があるなんてちょっと誇らしい。 お次は、ソニーセンターを抜けて新ナショナルギャラリーを目指して彷徨する。

新ナショナルギャラリーには、ピカソとマチスが常設展示されていて、なかなかのボリューム。 わたしは以前、「ゲルニカ」を見てがっかりした過去があるが、今ではピカソは好きな作家の一人である。 ピカソは枚数が凄いのでたくさん見ると見ないでは評価が変わってくるのではないかと思う。 絵葉書を買って退散。

ベルリンの壁の残骸
壁の歴史について書かれた記事が貼ってある

本当はここでは、、フェルメール「真珠の首飾り」を見るつもりだったのだが、収蔵美術館を勘違いしていたのだ! 正しくは、絵画ギャラリー(Gemaeldegalerie am Kulturforum)に行くべきだった。 でも今回は時間切れである。もう飛行場に向かう時間だ。ベルリンは観光資源が実に豊富で、 後一日あれば、エジプト博物館(「ネフェルティティの胸像」がある)、 森鴎外記念館、ベルリン・フィルハーモニー・オーケストラの演奏会などが楽しめたのだが…。

ポツダムから、ベルリン動物園駅に移動し、 バスでベルリン、テーゲル空港へ(30分くらいの工程:乗り放題チケット通用範囲)。 バスでも話しかけられやすさを発揮して乗っている間、 ドイツ人のおばあさんのお相手をするのだが(無論私はドイツ語を話せない)これは余談。 ドイツよ、さらば。

---ベルリン観光記 おわり---

ポツダム宣言(POTSDAM PROCLAMATION)
1945年(第2次世界大戦末期)米・英・ソ・中の四国の署名による共同宣言。日本に無条件降伏を要求した。 ポツダム宣言の原文(日本語)はこちら