旅行記 スペイン・モロッコ紀行
2002/8/14-2002/8/18

kowas


スペイン入国、最初の試練

ロンドン -> マドリッド -> マラガ

8/14-16+17(土曜日)18(日曜日)の盆休みを利用してモロッコ、スペイン旅行をすることにした。今、妻は不在なので、きままな一人旅である。

14日の早朝、ロンドン・ヒースロー空港から、スペイン・マドリッドに飛んだ。ここから国内線に乗換え、マラガへ。マラガは、スペインの地中海側に面した町で、コスタ・デル・ソルの玄関口になる町だ。 コスタ・デル・ソルとは太陽の海岸という意味で、晴れの日が多くて美しい地中海に面したこの地域を呼ぶにもはぴったりの名前だ。イギリスの肌寒さがウソであったかのような暑さと、抜けるような真っ青な空が私を迎えてくれた。

今日の目的地は、アルヘシラス。モロッコへの玄関口だ。モロッコ行きのフェリーがそこからでることになっている。なんとか今日中に到着し、明日のモロッコ行きツアーを申し込まないといけない。 マラガからアルヘシラスまでは140キロほど。さて、どうやって移動するか。もちろん事前準備なぞしてない。

レンタカーで行こう

今回の旅のお供、コルサ号
今回の旅のお供、コルサ号

空港の無料案内所でアルへシラスまでの移動方法を聞くと、バス路線があることを教えてもらえた。 次はレンタカーのサービス窓口へ移動して値段を聞く。48時間利用で39.2EUR/Day。悪くない値段なので、レンタカーを利用すること決めた。

ただスペインでレンタカーを利用するには問題があった。 日本やイギリスと違って、スペインは右側通行なので車のハンドルも左なのである。 左ハンドルで運転するのは初めて。はたして大丈夫か。 空港でゲットした地図は使いにくくて道がよくわからないが、外に飛びだせば標識を見ながらなんとかなるだろう。 そんなそんな楽観的というか安直な考えかたで空港を飛び出した。 右ハンドル車とはウインカーとワイパーのスイッチが逆なので、 右折左折しようとするたびに何度もワイパーを動かしながらマラガ市街へと向かう。 対向車線を逆行しないように、なるべく他の車の後ろを走って間違わないようにすることにした。

マラガで迷子になる

やがて、事故もなくマラガ市街に到着した。 マラガは幹線道路が発達した都市で、様子は日本とほとんどかわらない。 マラガ市街をドライブしながら、アルヘシラス方面を示す案内標識を探す。 しかし、一時間以上ドライブしても案内標識が見当たらない。 いや、案内標識自体はたくさんあるがどこも見覚えのない地名が書かれていて(当たり前だ)方向の見当がつかない。 さらにもうひとつのトラブルが発生した。と、いうかわかった。 ショッピングセンターの立体パーキングに入って、バックで駐車スペースに停めようとしたときにわかった。 シフトノブがバックギアに入らない。 何か方法があるのだろうがよくわからない。 後続の車がどんどんやってくるので、駐車を諦めてショッピングセンターから退場した。 下手に狭いところに突っ込むと、立ち往生しかねないということか。 どうしたものか・・・


ホテルはどこかしら

初出公開:2000/1/6 最終更新日:2000/1/6

迷子から脱出

マラガ市街で道に迷った私はなんとか道の脇に車を停めると、どうすべきか考えた。 今はひたすらアルヘシラスの方向のみを捜している。 これをアルヘシラスの全く逆方向も捜索の対象にすれば、ルート発見の可能性も二倍になるのでないか。このように閃いたのである。

世の中よくしたもので、こう考えるのも束の間、逆方向(バルセロナ)へと向かうルートを発見。 反対車線にユーターンすると、そこにはアルヘシラスまで140キロと示す看板が! ラッキーとばかりにアルヘシラスへと爆走スタート。

ドライブインで

ルートを発見して安心すると、今度はお腹が空いてきた。 ふと見るとドライブインの標識。そしてドライブインへ。 ドライブインには広大な駐車場がついていて、停まっている車もまばらだ。 わたしは周囲に車がない広いスペースに車を停め、バック方法の解析を開始した。 この車は、日本車と異なって一速の左隣がバックギアミッションになっており、 どうしてもそのミッションにギアをいれられなかった。 シフトレバーの棒部分を観察すると、リング状のストッパーらしきものがついていることを発見。 リングを引きながらバックギアにシフトチェンジすると、今度はバックギアにシフトレバーをセットでき、バックできることもわかった。

当面の懸案をようやく全て解決し、意気揚揚と、ドライブインの食堂へ行く。 ドライブインの中はカウンター形式になっており、西部劇のバーのような感じ。 わたしは、フランスパンにスペイン名物の生ハムをはさんだものを注文した。 うまい。 パンはもちろんうまいが生ハムのうまさが尋常ではない。 やはりスペイン料理(?)は最高だ。

アルヘシラスでも迷う

問題も解決し、お腹も膨れ、わたしはハッピーな気持ちであらためてアルヘシラスへ出発した。 新しい目標は、5時までに旅行社のカウンターに滑り込むことである。 スペインの高速道路が有料であることに驚いたり、アルカンタラで渋滞に巻き込まれたりしながら、4時半ごろアルヘシラスに到着した。

アルヘシラスのフェリー港付近で適当な旅行社に飛び込み、モロッコツアーの申し込みをした。 日本でいうところのツアーを理解してもらうのには苦労したけども、なんとか意思疎通し、ツアーの旅行申し込み券をゲット。 45EUR。 明朝フェリー乗り場で集合とのことだった。 これで今日のプログラムは終了だ。 今日の小冒険に思いを巡らせながら、旅行社を出る。 あとはホテルにチェックインして少し休もう。

ところが、世の中そんなに甘くない。ホテルがありそうな方向の道路が工事中で行けないというのを皮切りに迷う迷う。 アルヘシラスはそんなに広い街ではないのだが、ほとんどの道が狭いし一方通行も多い。 しかもインターネットから印刷したホテル周辺の地図がどうもいいかげんくさい。 アルヘシラス中心部の地図がついているのはよいのだが、ホテルの位置が囲みになっており、 この道をそのまま2キロと書いているのが不安。ちゃんと近辺地図を用意してくれよ。

警察で道を訊く

悩んだ末に道行くやさしそうなおばちゃんに道を聞いた。自分がどこに行きたいかを英語で伝え、それはわかってもらえたようだ。 また、行き先も知っているようだ。 しかし、説明の一切はスペイン語。何を言っているのかさっぱり分からない。 大まかな方向のみ確認しスタート。 意思疎通ができたと思われる道まで進み、あたりを見るとちょうど警察の前ではないですか。

ホテルアルボランの2階中庭

ラッキーとばかりに道を訊くが、やはりかえってくるのはスペイン語のみ。外国語を話すという別の警官が呼ばれたが、彼が話すのはフランス語。ダメだ。 それでもなんとかマラガ方向へ行けということだけはわかった。 マラガ方面によたよた走るとそれらしい建物が。 それが目標のホテル アルボラン(The Hotel Alborán)だった。そこは国道に面した広い駐車場がある立派なホテルだった。

ホテルにチェックインした私は午後9時ごろまで眠り、ホテルのレストランで夕食を食べた。 ホテルの食事は美味しく、特にCAVA(カバ:スペインでのスパークリングワインの呼び名)は最高なのであった。 明日はモロッコだ。


アフリカ大陸へ

初出公開:2000/1/10、最終更新日:2000/1/10

アルヘシラスのフェリーのりばで

アルヘシラス フェリー乗り場

朝は7時に起床し、8時過ぎにホテルからタクシーで出発した。 今日はモロッコ行き一日ツアーの日。 旅行会社によると、8時45分にフェリーのりばのインフォメーション前で集合とのこと。 本当に自分の理解で大丈夫かどうか不安になりながら、あたりをうろうろしたり、カフェ・コン・レチェ(スペインのカフェラテと思いねぇ)を飲んだりして時間待ち。

ふと気づくとインフォメーションで50人くらいの人だかりが出来ている。 係の兄ちゃんに昨日ゲットした旅行引換券を渡すと、ブルーのシールを胸に付けるようにと言われる。 シールをTシャツの胸にはる。日本人、というより東洋人の参加は自分一人のようだ。

アフリカ大陸に上陸

9時30分発のフェリーで出発。 乗ったのは、日本にもありそうな双胴型の新しいフェリーで、十数台の自動車が運搬できる立派なもの。 どんな怪しい船に乗るのだろうかと想像していた自分にはチと拍子抜けであった。

一時間くらいの船旅でセウタに到着。初めてのアフリカ大陸がそこにある。 天気は晴れ。気温は暑いとは言ってもスペインと同様の気温と湿度、ひどくはない。 日本から想像するとんでもない酷暑の大地アフリカは存在しなかった。 テレビはアフリカの広大さまでは伝えてなかった。当たり前だが、これは当地でないとわかりにくいこと。

モロッコの観光バス

実はセウタは、まだモロッコではない。アフリカ大陸にあるスペイン領なのである。 それゆえにパスポート審査もない。フェリー乗り場の駐車場にやってきた観光バスに乗り込む。 この観光バスも日本でおなじみの装備をもったバスでありここでも少しの安堵と落胆があった。

観光バスに皆が乗り込んでからパスポートと入国カードの回収がおこなわれ、バスガイドさんが乗り込んでバスが発車した。 ガイドさんはモロッコ人なんだろうが、東南アジアっぽい外見の背が低いおっちゃんで、スペイン語、フランス語、英語でアナウンスしてくれる。

入国ゲート

観光バス内の様子

バスでしばらく進むと、国境のゲートが登場。ものものしいが、見てくれはまるで高速道路の料金所みたい。 料金所ゲートを進むと、中は車溜まりのようになっていて、国境の通過待ちをする車で一杯。 欧州で稼いだり買い物したりしてここを通過していくのであろう。 やっぱりうまく通関するためには賄賂なんかも必要なのだろうなぁ。などと思いながら、窓の外を眺めていた。 バスだけは、問題なく国境を越え、モロッコへ。パスポートはどうもここの施設に預けるようだ。

高速道料金所もとい、出入国審査所を抜けるとそこはモロッコだ。 ガイドが「モロッコにようこそ!!」と声高らかに3カ国語で言った。


メディナのなか

初出公開:2000/1/22、 最終更新日:2000/1/22

モロッコのやせた大地

乾いた大地と観光用ラクダ

観光バスは結構なスピードで走る。地中海に面した海岸側には、外国人向けのリゾートホテルが立ち並んでいる。 そのどれもが、外国資本によるものだ。 ホテル地帯を過ぎると、廃墟のような建物が続く。 舗装がよくないので乾いた道路から砂が舞い上がり、風景が埃っぽい。 そして建物の群れを抜けると、痩せた大地が目の前に広がった。

これは、多くの人間を食わしていけるような大地ではないな。 これが自分の感想だった。 途中のらくだ休憩をはさんで、バスは一路ティトアンへ。 ティトアンには世界遺産にも登録されている旧市街地区があるのだ。 バスはほとんど山もない平坦路を進んでいく。セウタから2時間ほど走ったころ市街区が現われた。 バスは市街区を走り、やがて古い城壁のそばにバスを停めた。

城塞都市に入る

メディナに入る門

城壁の中はメディナと呼ばれる旧市街区になる。 城門の階段状になった入り口をくぐると、そこから隘路が始まっている。 隘路の両側には果物や野菜を売る商店が軒を連ねていた。 道の狭苦しさと市場の熱気を楽しみながら、ガイドを追う。 道は迷路となっており、わくわくしてくる。 敵の侵入に備えて街をわざと迷路状にしているのだろう。 まさに城塞都市(カスバ)だ。

ガイドは右へ左へと進んでいく。こりゃガイド無しではこれない。 道に迷ったら大変なことになる。ツアー客の迷子防止のために別のガイドがサポートに入ったのは当然のこと。 個人的にはもう少しゆっくりしたいところだったが、ツアー一行はどんどん進む。 洋服屋街、アクセサリー屋街、アラブ街、ユダヤ街、何でも屋、イスラム寺院。そして、 蛇遣い のにいちゃん。蛇遣いのコブラはなかなかの迫力だった。

絨毯屋さんにて

メディナの隘路は大混乱

そのうち、一行は絨毯屋さんに到着した。 ここでは、売り込みの前に屋上を開放してくれた。 3階まで階段を上がり、さらに屋上屋を上がるとそこは絶景。 なだらかな山地に白い建物の群れが張り付いている。 低層の建物ばかりだし、道路が広く確保させていないので、正に張り付いているという表現をするしかない。 統一性のない増築に増築を重ねたような街の風景は奇観ではあるがどこか安心させられる。 唯一の高い建物である、イスラム寺院の尖塔が景色に映えていた。

絨毯屋の屋上からメディナを望む

その後は、ツアー客を英語チームとスペイン語チームに分け、絨毯屋さんのプレゼンテーションスタート。 床に何枚も何枚も絨毯をひいて商品説明する。 まあ、製品は悪くはないっぽいのだが、こんなものは持って帰れないし、送ってもらうとしても信用してよいのかどうかわからない。 結局、買う気になったのはたった一人だった。


ランチタイム

お昼をかなり過ぎて、お腹がぺこぺこになった頃、ようやくレストランに到着した。 サンディエゴからやってきたという夫婦と同じテーブルにすわった。 絨毯買った?と聞かれたが、あんなの持って帰れんしと答えるとそりゃどうだなと大笑い。 モロッコはどう?と夫妻に聞かれる。私はちょっと怖いね、と答えた。 暴力をふるわれるという意味での怖いでなく、生きている世界が違いすぎるというのは少し怖い。 ここに妻がいたらどう言うだろうか。

レストラン内演芸の出し物中

食事メニューはなんかすっぱい微妙な味のスープと、シシカバブ(串焼きですな)、クスクスだった。 典型的なモロッコ料理で、見かけは結構あぶなげであったものの、案外いけた。

実は、イギリス生活の為、自分の味覚が退化していることはかなり自覚しているのだが、アメリカ人夫妻も美味いといっていたので、多分おいしかったのだろう。民族楽団と、ベリーダンスとおっちゃんの曲芸を見ながらの楽しい食事であった。尚、このツアーは食事付きだったのだが、飲み物は別料金であった。ソフトドリンク一本1.50ユーロ。楽団及び、演芸には2ユーロのチップを払った。

タンジールへ

食事のあとは、メディナとはお別れとなった。 ガイドと路上土産物屋との小競り合いが多少あったが、おおむねトラブルもなかった。 次の目的地はタンジールである。

タンジールにあるバザールの広場

長いドライブの後、タンジール市街に到着。 市街は少し古ぼけてはいるものの道路幅も広く、様子はスペインと大きく変わらない。 ただ、ビルの建築現場をたまたま見たのだが、ビルの壁面がレンガで構成されているのがわかったのには魂消た。 中東で地震が起こりしばしば大災害として報道されるが、その原因が良く分かった気がした。 建築に対する考え方は「3匹の子豚」と大きく変わらないようだ。 レンガで造った建物が一番頑丈だと考えるレベルだという意味で。 バスはそのまま海が見える旧市街へと進み広場へと出た。 その光景は映画などで見るイスラムのバザールそのままだった。

これは少しやばいんではないの?ツアー一行はバスを降り、しばしミーティング。タンジールでのガイドはかなり高齢と見えるおじーちゃん。3ヶ国語の説明が始まるが、発音が奇妙なので、みんなは大喜び。そんな間も現地の方々がスリを狙っているのか何をやっているのか興味深々なのかツアー客の輪に接近してくる。自分の荷物が不安で気が気ではない。一行はタンジールのメディナに突入する。商店の感じはスペイン風でティトアンとは少し違う。羊の肉の塊を肩にかついだおじさんが自分の真横を駆け抜けていった。

到着したのは土産物屋。タンジールでのプログラムはほとんど土産物屋のみであった。香油注しなど良さげなものはあるのだが、仕上げがいまいちで買う気がしない。「こんにちわ」だのの日本語での接客を避けつつ出口を窺うとそこにはフリーの土産物屋の群れが。 怖くて単独では表にでられない。かれらが一瞬にして泥棒に変化したらと思うと危険極まりない。土産物屋からバスまでの売り込みはすさまじいものだった。気のいいアメリカ人のおじさんは太鼓だのナイフだの買ってしまっていた。

自分はだまっていたため、何語で話し掛けるべきか分からなかったらしく、売り子の大猛攻を受けることはなかったのは幸いであった。とにかく鬱とおしい。もっと良い土産物があれば考えなくも無いのだが。土産物のセンスは、日本のひなびた温泉街なみなのである。

さらばアフリカ大陸

タンジール観光を終えた我々はバスに戻り、セウタへと帰る。ふたたび国境を越え、パスポートを返してもらった時には、久しぶりに外国にいったなという感慨があった。多少の違いがあっても、旧西側世界ってやつは、日本とそう違わないと思う。だが、イスラム世界は本当に異国だ。標識も全然わからないし。

アルヘシラスに向かうフェリーの中でまた来ようと思った。アルヘシラスに到着すると午後9時。外はようやく暗くなり始めたぐらい。ホテルに帰って生ハムとカバで乾杯した。明日はバルセロナに向かう。


ミハスの白い家

初出公開:2000/1/30、 最終更新日:2000/1/30

マラガへ戻る

今日は、バルセロナへ移動する日。コスタ・デル・ソルからバルセロナへの移動は、飛行機がもっとも合理的なようだ。ということで、空港があるマラガへと帰る。アルへシラスを朝出発し、フライトまでの余裕があれば、ミハスへ寄り道することに決めた。ミハスは、白い家で知られる有名な観光地である。

車で高速道路を走り、途中のパーキングエリアで朝食タイム。チキンをマヨネーズで合えたサンドイッチを買う。マヨネーズがかかりすぎで少し気持ち悪い出来。

日本のマヨネーズは、少し酸っぱい味付けだが、欧州のそれは、もっとクリームっぽい味がする。 そのため、この気持ち悪さを味付けの違いと思って食べたが、これがよくなかった。

ミハス(Mijas)に寄り道

ミハス(Mijas)の白い家

さて、道程は問題なくミハスに寄る余裕が出来た。ミハスは新婚旅行の時と合わせて2回目である。 ミハスの雰囲気を楽しみ、カフェでコーラを飲む。気候のせいかコーラが異様に美味い。

呆けていると、近くのテーブルに座っていたおばさんが話しかけてくる。スペインはどう?好きですよ。と世間話。 おばさんはアメリカ人でビジネスを引退し、旅行しながら暮らしているそうだ、その内ミハスを気に入り半年ほど滞在しているらしい。 アメリカ人の引退後の生活というのは優雅なものだ。

その後、日本語の看板があるみやげ物屋にひやかしで入る。 そこでは、マラガに住んでいるという女性が店番をしている。マラガの治安を聞いてみるとかなりよいとの返事。 でも日本人は治安の悪いところに好んで住んでいるのよね、とのご意見。マドリッド、バルセロナ。確かにそうかも。

このみやげ物屋では、スペインの数少ない特産品であるエキストラバージンオリーブオイルを購入。 その後は、途中で発見したショッピングセンターで昼食をとり、マラガ空港へ。マラガ空港でレンタカーを返却。 手順は日本と同様でなんの問題もなかった。そしてバルセロナへ飛んだのである。

食中毒?

バルセロナの空港につくやいなやトイレに直行した。下痢である。悪いことに、内臓がだる痛くトイレの後も直らない。食中毒のようだ。

心当たりはたくさんある。モロッコはあやしいといえばあやしいし、昨晩は、ひとりでカバ(スパークリングワイン)を一本(750ml)空けた上、大皿いっぱいの生ハムを平らげた。そして、一番怪しい朝のチキンマヨサンドイッチ。

悩んでも仕方ないので、タクシーをひろいバルセロナ市内のホテルへ。空港から市内への交通は、バスもあるけれど、近いのでタクシーが大変便利。今回のホテルは町の中心にあり、目抜き通りである、ランブラス通りまでも近い。ホテルに到着したのは、5時過ぎ。外はまだまだ明るいが、体調が優れないのでホテルで休憩する。下痢と暑さでひどく喉が渇くのには参る。

日本料理屋で夕食

今日の食事は、スペイン料理を止め、日本食を食べることにした。少しでもおなかにやさしい食べ物のほうが良い。「山鳥」という日本食屋を目標に定め、開店時間の8時半までホテルで休憩だ。スペインの夕食はすごく遅いのだ。8時半オープンでも早い方だと思う。

「山鳥」は非常にしっかりとした日本食屋さんで本物の日本の寿司職人さんがいらっしゃる。もちろん他のメニューも充実している。 内装は、日本のお寿司屋さんそのままだ。

店は盛況で、日本人ばかりか外人さんも多い。しかも、物珍しさの段階ではなく、かなり現地のレストランとして認められている感じ。

一人でやってきては、刺身の盛り合わせで日本酒をやっている人がいれば、焼きうどんとビールを楽しむ人もいるという具合。 私は久しぶりのにぎり寿司をいただいた。ネタは当地で仕入れているとのことだが、悪くないどころかマグロが絶品。大満足だった。

食事のついでに治安情報を仕入れると、普段着でいる限りは問題ないとのこと。明日は安心してバルセロナ観光ができる。


グェル公園の絵描きたち

初出公開:2000/1/30、 最終更新日:2000/1/30

グェル公園に向かう

朝はゆっくり起きた。グラシア大通り沿いのカフェでお茶しつつ、ひとり作戦会議。と、12,3歳くらいの少女が寄ってきて自分の左掌を右手人差し指で指しながらスペイン語でなにやら言ってくる。お金をくれと言っているらしい。ジプシーの物乞いである。追い払ったが朝から悲しげな気分になってしまった。

今日の目的は、グェル公園にいくこと。グェル公園は、ガウディが設計した公園で曲面を多用したデザインと、その外観に張られた色とりどりのタイルがどこにもない世界を垣間見させてくれる。そしてそこには、画家が自らの作品を販売する一角がある。それらは値段も手ごろで良い作品も多い。以前来たときも、一枚買って帰ったのだが、またもや買い付けにやってきたのである。

画家の即売所

グェル公園の様子

タクシーをビセーンス邸経由グェル公園行きで頼む。公園に到着すると、画家の即売所へと上り坂をあがっていく。すると、まだありましたよ、やってました。10人くらいの画家がずらりとならんでいる。かれらの傍らには多くの絵が飾ってあったり、スタンドに立ててあったりしている。彼らは、当局(市なのか公園なのか不明)から絵の販売許可書を支給されている。販売許可の審査が厳しいのか、"なんちゃって画家"は見受けられない。バルセロナの芸術振興の一環なのであろう。

見学をスタートする。個人旅行なので時間無制限で絵を選べるのはうれしい。ポスターも悪くはないが、原画の迫力は格別である。こっちが真剣なので、画家のほうも一生懸命売り込んでくる。

英語で話しかけてくれてるみたいだが、なんと言ってるのか全然わからない。よく聞いてると、組み立ては英語っぽいが単語のほとんどがスペイン語のままやん。いちいち単語を確認しつつ話をしてみると、この黒人のおじさんは、チリからやってきたとのこと。チリはたしかスペイン語圏だった。こんなパターンの移民があるのか。

グェル公園2

彼の受賞暦を見せてもらったが、チリ時代からスペイン時代までそうそうたるもの。これが本当ならすごい。日本の画廊にも販売したことがあるらしい。

70ユーロくらいでよい絵を見つけたが大きくてもって帰れそうにない。そこで45ユーロの小さい絵を買った。日本で額に入れたら額のほうが高くつくだろう。このとき気づいたが、絵を持って帰るのは意外に難しい。欲しいのは油絵だが、折ったり曲げたりしたくないので、適当なサイズを買うしかない。

絵描きたちはそれぞれがかなりの在庫を持っており、かなり長い時間楽しめた。疲れると彼らに並んで涼を取ったりした。彼らはちょうどいい日陰の場所に座っているのだ。私が座っていると、なぜかみんなが「トイレどこですか」とか「お茶はどこで飲めますか」とか聞いてくる。どう見てもツーリストだろ。絵描きたちもなんであいつばっかり聞かれるんだと笑っている。

結局、私は2枚の絵を買いグェルを引き上げた。その内一枚は、友人が建設中の新居に贈ろうと購入したがどうもプレゼントにそぐわないことが後日判明。4輪の花が描かれた絵なのであった。

ガウディづくし

ミラ邸 写真じゃ凄さが伝わらない

絵をホテルに置いたあと、バルセロナ定番のサクラダファミリアへ。サクラダファミリアは、2年前から完成度が変わってない感じ。永井豪の手によるかのような邪悪なデザインは本当に教会たりえるのか未来が楽しみである。

あとはランブラス通りをそぞろ歩いたり、ガウディ建築を全クリアしたり。

一番好きなガウディ建築を問われたら、私はミラ邸と答えるだろう。ミラ邸は、グラシア通りに面した建物で、ビジネス利用を想定していたのだと思う。特徴的な色とりどりのタイルこそ貼られていないが、独特の感性でデザインされており、普通の施主なら到底OKしないであろう威容を誇っている。

以下、ガウディとの脳内会話。

わたくし「ガウディさん。あなたの今度の建物は正気を疑うくらいすごいですね。私、未来から来たんですけど、あなたの建築物はバルセロナの観光事業にかなり貢献してますよ」

ガウディ「これから、私、成功するんですかね」

わたくし「もちろん」

ガウディ「パトロンさんにはかなり苦労かけてるんですが、いつ成功するんですか?」

わたくし「あなたが亡くなってからです」

ガウディ「いやや」

わたくし「だって、この建物を今の人が理解するのは無理ですって」

ガウディがっくりうなだれる。

翌日、スペインの有名百貨店「エル・コルテ・イングレス」でカバを買った。スペインで買うべきなのはカバ、エキストラバージンオリーブオイル、CAMPERの靴、LOEWEの革製品ではないかというのが私見である。

そしてその後、バスで空港に行き、バルセロナを後にした。実はこの後、一週間も下痢に悩ませられるのだが、この時はそれをまだ知らない。

---モロッコ・スペイン紀行 おわり---